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絶対と永遠はない、これは相場にも、人生にもいえることだろう。
自信と過信は似て非なるもの。
自信には根拠があるが、過信は思い込みに過ぎない。
自信は経験からくるもので、過信は感情の高まりからくるもの。
絶対に…そう感じたら危険信号。
相場では自信のあるポジションすら崩されることがある。
そして、絶対という感情を崩されたときが一番怖い。
冷静になって、相場に絶対などないことを想い出そう。
もうひとつ、相場には永遠もない。
上がり続けることもなければ、下がり続けることもない。
いつかは必ず波の終わりが来る。
だから、今のチャンスを逃しても慌てることはない。
次のチャンスが必ずまた訪れる。
人生にも絶対と永遠はない。
上昇中の人にも押し目の下落はあるし、下降中の人にも戻りの上昇はある。
檻の中で上にも下にもいけない人もいる。
いいことも、わるいことも両方起こる。
それでいいのだ。
絶対で永遠なんて、きっとつまらない。
文章の意図から少し外れてしまいますが、
私は高校生の時、自分が絶対に存在するという事が信じられませんでした。
呼吸を意識的にしているわけじゃないし、それこそマトリックスのような世界にいて、本物の自分は脳味噌に電気信号を与えられた実験体なのかもしれないと、思っていました。
その悩みを大学までひきずり、心理学を学び、デカルトに出会いました。
『我思うゆえに我あり』
これは自分がいると思えばいるのだ、という意味ではなく、
たとえ脳味噌に電気信号を与えられた存在だとしても、自分は絶対に存在すると信じられないと考えている自分は否定できないという意味です。
絶対や永遠はないと思います。
しかし、絶対や永遠を求める自分は否定できないという不思議な事実はあると思います。
絶対のない相場というなかで、絶対を信じている人がいて、絶対を信じてない自分のなかで、絶対を求める自分がいて、
相場も自分も同じなんだと、この間いただいた、『擬人化しなくても相場は人そのもの』というコメントで気づけました。
いつも感謝しながら、動画を拝見させてもらっています。
たくさんの気付きをありがとうございます。
素晴らしいコメントだったので、動画で紹介させていただきました。こちらこそ、有難うございました。